「好き」の反対は何だと思いますか?
「好き」の反対は「憎しみ」だと思いますか?
違うんですよ。
好きの反対は憎しみではなく無関心なんですよ。
本当の「嫌い」は「憎い」じゃなく「無関心」です。
何故なら愛情と憎しみは表裏一体。
しかし無関心は微動だにしない。
無関心だったら、こんなブログは一切、無視していますよ。
私の事など、どうでもいいと思ってシカトしていますよ。
アンチの皆さんが毎日毎日欠かさず朝から晩まで夜中も寝ずに四六時中、私の事を「憎い!」「憎い!」と思いながら当ブログばかり逐一見ているという事は、本当は私の事が好きで好きで仕方がないという事なのです。
別に、このブログを見なかったら、あなたが死ぬわけではありません。
「興味がある!」=「好き!」なのです。
つまり、アンチのあなた達こそが、私の大ファン、熱狂的ファンなのです。
年中、私の事を「憎い!」「憎い!」と言って、一日中、私の事ばかり考えている女が一人いますが、それは本当は私の事が好きで好きでたまらない本音の裏返しなのです。
正直に言えば、私に惚れているのです。
好きだからこそ、気になって気になって、どうしようもないのです。
好きだからこそ、虐めたくて虐めたくて、どうしようもないのです。
好きだからこそ、虐めたくて虐めたくて、恋しくて恋しくて夜も眠れないのです。
恋しいからこそ、見たくて見たくて、どうしようもないのです。
好きだからこそ、相手にして欲しくて、相手にして欲しくて、どうしようもないのです。
好きだからこそ、構って欲しいのです。
好きだからこそ、自分の存在を認めて欲しいのです。
好きだからこそ、虐めるといった屈折した感情でコミュニケーションを取りたいのです。
寝ても覚めても心から離れないのです。
寝ても覚めても私の事しか頭にないのです。
虐めた~い 泣かした~い といった感情は、本気で誰よりも惚れている証拠なのです。
彼女は今後も私の事ばかり考えながら生きて行く事でしょう。
何故なら内心は私に惚れているからなのです。
しかし何故、私は、その女の事には一切触れないのか?
それは本気で嫌いだからなのです。
興味がないからなのです。
どうやら相当勘違いして自分が私に惚れられているものと勝手に思い込み、私に追いかけられているものと勝手に思い込み、自惚れているようなので、一言だけ言います。
最初は、お世辞を言ったり心配もしたが、別に惚れていたわけでも何でもなく、単なる親切心のつもりでしかなく、特別な感情も最初から一切なく、性格が最悪だと分かった時点で大嫌いになりました。
私は本当に大嫌いな人間の事は相手にしないどころか、その存在すら認めません。
興味すらありません。
気にする価値すらありません。
そう、好きの反対は憎いでなく無関心なのです。
私が彼女について語るのは、後にも先にも今回限りです。